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自分を遠くから見てみる

 おおかたの人間は、自分に甘く、他人に厳しい。
どうしてそうなるかというと、自分を見るときにはあまりに近くの距離から自分を見ているからだ。そして、他人を見るときは、あまりにも遠くの距離から輪郭をぼんやりと見ているからなのだ。
この距離の取り方を反対にしてじっくりと観察するようにすれば、他人はそれほど非難すべき存在ではないし、自分はそれほど甘く許容すべき存在ではないということがわかってくるはずだ。

『さまざまな意見と箴言』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

自分は常に新しくなっていく

 かつてはこれこそ真実だと思っていたものが、今では間違いだったと思う。かつてはこれこそ自分の変わらぬ信条だとしていたものが、今では少しちがうと思う。
それを、自分は若かったとか、浅かったとか、世間知らずだったと断じて葬らないほうがいい。なぜならば、当時の自分にとっては、そう考えたり思ったりすることが必要だったのだから。当時の自分の段階にあっては、それが真実であり信条だったのだ。
人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向かっている。だから、かつては必要だったものが、今は必要でなくなったにすぎないのだ。だから、自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。さらなる新しい自分になるために。

『悦ばしき知識』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

自分を知ることから始めよう

 自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやりすごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。
なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるために、まずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえも知らずして、相手を知ることなどできないのだから。

『曙光』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

自分の「なぜ」を知れば道が見える

 多くの方法論の本を読んでも、有名な経営者や金持ちのやり方を学んできても、自分のやり方や方法がわからない。これは当然のことで、薬ひとつにしても、その人の体質に合わない場合がある。他人のやり方が自分に合わないのは不思議なことではない。
問題はまず、自分の「なぜ」がちっともわかっていないということにある。自分がなぜそれをやりたいのか、なぜそれを望むのか、なぜそうなりたいのか、なぜその道を行きたいのか、ということについて深く考えてないし、しっかりつかんでいないからだ。
その自分の「なぜ」さえはっきりつかめていれば、あとはもう簡単だどのようにやるのかなんてすぐにわかってくる。わざわざ他人の真似をして時間をつぶすこともない。もう自分の目で自分の道がはっきりと見えているのだから、あとは歩いていけばいいだけになる。

『偶像の黄昏』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

自分の主人となれ

 勘違いしてはならない。自制心という言葉を知っているだけで、なにがしか自制できているわけではない。自制は、自分が現実に行うそのもののことだ。
一日に一つ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。また、小さな事柄に関して自制できないと、大きな事柄に関して上手に自制して成功できるはずもない。

『漂泊者とその影』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

誰にも一芸がある

 どんな人にも一芸がある。その一芸は、その人だけのものだ。
それを早くから知っていて、充分に生かして成功する人もいる。自分の一芸、自分の本領が何であるか、わからないままの人もいる。
それを自分の力のみで見出す人もいる。世間の反応を見ながら、自分の本領が何だろうかと模索し続ける人もいる。
いずれにしても、くじけず、たくましく、果敢に挑戦を続けていけば、自分の一芸がわかってくるはずだ。

『人間的な、あまりに人間的な』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

疲れたらたっぷり眠れ

 自己嫌悪におちいったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。
ギャンブル? 宗教? 流行のリラックス療法? ビタミン剤? 旅行? 飲酒?
そんなことよりも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。
目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう。

『漂泊者とその影』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

一日の終わりに反省しない

仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。すると、自分や他人のアラが目について、ついにはウツになる。自分のだめさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。たいていは、不快で暗い結果にたどりつく。
なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。

『曙光』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

自分の評判など気にするな

誰だって、他人から自分がどう思われているか知りたいものだ。よく思われていたいし、少しは立派だと思われたいものだし、大切な人間の部類に入れてほしいものだ。だからといって、自分への評判を気にするばかりに、聞き耳を立てるのはよくない。
なぜなら、人間というのは間違った評価をされるのがふつうのことだからだ。自分が思うように、自分が望むように評価してくれることなんかほとんどない。そういうのとは全然ちがう評価をされてるのがまったくふつうだからだ。だから、腹を立てないためには、自分の評判や評価など気にしてはいけない。他人がどう思っているかなんてことに関心を向けては絶対にいけない。そうでないと、本当は嫌われているのに、部長だの社長だの先生だのと呼ばれることに一種の快感や安心を覚えるような人間になってしまう。

『人間的な、あまりに人間的な』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

初めの一歩は自分への尊敬から

自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。
そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。
自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。

『力への意志』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

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