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喜び方がまだ足りない

 もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。喜ぶことは気持ちいいし、体の免疫力だって上がる。
恥ずかしがらず、我慢せず、遠慮せず、喜ぼう。笑おう。にこにこしよう。素直な気持ちになって、子供のように喜ぼう。
喜べば、くだらないことを忘れることができる。他人への嫌悪や憎しみも薄くなっていく。周囲の人々も嬉しくなるほどに喜ぼう。
喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう、喜び、嬉しがって生きよう。

『ツァラトゥストラはかく語りき』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

無限の豊かさは自分にある

 同じ物を相手にしていても、ある人は一つか二つくらいのことしか、そこから汲み出すことができない。このことはふつう、能力の差だと思われている。 しかし実は人は、その物から何かを汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。その物に触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。 つまり、豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすること。これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、人生を豊かに生きていくことなのだ。

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白取春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

自分の家を建てる場所は

 方々を旅して、自分に合った国を探すのだろうか。様々な土地を見て歩いて、自分の家を建てる場所をあれこれと探すのだろうか。
それよりも、力強くありながらも穏やかなところ、そこを自分の祖国とし、その中に自分の家を建てるべきではないだろうか。都市の雑踏の中にいても、静寂の中であろうとも、力強くありながらも穏やかでいれば、ずっと安心でいられるというものだ。

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

友人を求める前に自分自身を愛する

 できるだけ多くの友人を欲しがり、知り合っただけで友人と認め、いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、自分が危険な状態になっているという証拠だ。
本当の自分を探すために、誰かを求める。自分をもっと相手にしてほしいから、友人を求める。漠然とした安心を求めて誰かに頼る。なぜ、そうなるのか。孤独だからだ。なぜ、孤独なのか。自分自身を愛することがうまくいってないからだ。しかし、そういうインスタントな友人をいくら多く広く持ったとしても、孤独の傷は癒やされず、自分を愛するようにはなれない。ごまかしにすぎないからだ。
自分を本当に愛するためには、まず自分の力だけを使って何かに取り組まなければならない。自分の足で高みを目指して歩かなければならない。そこには苦痛がある。しかしそれは、心の筋肉を鍛える苦痛なのだ。

『ツァラトゥストラはかく語りき』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白取春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

「~のために」行うことをやめる

 どれほどいいように見えても、「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。
誰々のためにであろうとも、何々のためにであろうとも、それが失敗したと思えるときには相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、うまくいったと思えるときには自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。
つまり、本当は自分のためにだけ行っているのだ。
けれど、純粋に能動的な愛から行われるときには、「~のために」という言葉も考えも出て来ることはない。

『ツァラトゥストラはかく語りき』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

恐怖心は自分の中から生まれる

 この世の中に生まれる悪の四分の三は、恐怖心から起きている。 恐怖心を持っているから、体験したことのある多くの事柄について、なおまだ苦しんでいるのだ。それどころか、まだ体験していないことにすら恐れ苦しんでいる。 しかし、恐怖心の正体というのは、実は自分の今の心のありようなのだ。もちろんそれは、自分でいかようにも変えることができる。自分自身の心なのだから。

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

好奇心に振り回されない

 身の回りや世間で起きているいろいろな事柄に、そのつどごとに首を突っ込んでいると、結局は自分が空っぽになってしまう。あるいは、自分の空虚さをなんとか埋め合わせるために、あらゆることに顔を向けている人もいるくらいだ。 好奇心は、自分の能力を発火させるためにはたいせつだが、世界のすべてを見聞きできるほど人生は長くは続かない。若いときに自分が関わる方向を着実に見定め、それに専念していくほうが、ずっと賢く、自分を充実させていくことができる。

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

いつも機嫌良く生きるコツ

 不機嫌になる大きな理由の一つは、自分のなしたこと、自分の産んだことが人の役に立っていないと感じることだ。
だから、不機嫌な老人がいる。一方で輝く青春の真っ只中にいる若い人たちが不機嫌なのは、自分が社会の中で生産的な存在になることがまだなかなか難しいからでもある。
したがって、いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。そのことで自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

自分自身を見つけたい人に

 自分がどういう者であるか理解したい人は、次のような問いを自分に向け、真摯に答えてみればいい。
これまで自分が真実に愛した者は何であったか?自分の魂を高みに上げたものが何であったか?何が自分の心を満たし喜ばせたか?これまでにどういうものに自分は夢中になったか?
これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ。

『ショーペンハウアー』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白鳥春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

解釈のジレンマ

 物事はいかようにも解釈できる。
良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。良いとするのも悪いとするのも、役立つとか役立たないとか、素晴らしいとか醜悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に自分を差し込むことになるのを知っておこう。つまり、解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになるのだ。
つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずには物事の始末がつけられない。ここに、人生を読み解いていくことのジレンマがある。

『たわむれ、たばかり、意趣ばらし』

ニーチェ,フリードリヒ(2015)『超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版』(白取春彦訳) ディスカヴァー・トゥエンティワン.

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